2018-09-14

聴覚障害児の教育と現実(雑感と考察)

その1 その2 その3 その4 その5 その6と続いたツイートまとめですが、そろそろまとめにかかりたいと思います。


雑感(ざっと見て感じたこと)
(1)基本的には、自分の過ごしてきた環境や、自分が選択したコミュニケーション手段を推す声が多かった(手話重視派は手話をおすすめし、口話重視派は音声による教育をおすすめする)。

(2)口話推しの方の属性は、難聴当事者(インテ経験あり)、聴覚障害学生、聴者STなど。聴者社会への適応が主な主張の根拠。

(3)手話推しの方の属性は、難聴当事者(インテ経験あり/なし)、手話のできる聴者など。コミュニケーション環境や仲間の存在が主な主張の根拠。

(4)口話/手話のバランスを取ろうとする立場や、日本語の読み書きが最重要(口話か手話は二の次)という意見もあった。


そして、以上の雑感をもとに(なるべく平等さを意識して)考察を書きました。

やや辛口の考察
(5)口話の重要性を主張する当事者には、たいていの難聴児が「自分のように日本語習得ができる」ことを前提として、努力を勧めているふしがある。だが同様の努力で全員がうまくいくわけではない。また、複数の当事者学生が主張に加わっていたが、「小学校~大学までの生活で適応できる」ことと「職場やライフステージに応じた適応」との違いには注意が必要である。

(6)手話(聾学校)の評価が高い者には、口話教育の弊害から手話がベターであるという主張が見られる。ただし口話(読話・発話)習得の大変さは、イコール手話による言語力向上や日本語習得の確実性を保障するものではないことに注意が必要である。手話には手話の習得上の難しさがある。同様に、(それぞれの学校によると思われるが)ろう学校での教育についても評価は一長一短である。

(7)ろう教育(聴覚障害児への教育)の議論は、マジョリティ(聴者)とマイノリティ(ろう者)の圧倒的な数量差が暗黙の内に存在している。そのため、マジョリティ側が音声言語によるコミュニケーションを期待して、「(不得意な)聞こえを何とか使うしかない」という(聴者側の)論理が強くなりがちである。ただしそれは「聞こえる人に合わせる/聞こえる人のように生活する」という、生活上の困難を個人の努力で解決させようとする医療モデルの障害観を拡大再生産している。

(8)障害は個人の中にあるのではなく、個人と社会との接点で生じるという「社会モデル」を具現化できそうな一部事例(理解のある難聴学級に在籍)も見られたが、インテ環境では手話を獲得・手話による教育の機会は得られていないため、コミュニケーション能力の成長までは保障できるかどうか分からない。

(9)ろう学校であれ、インテ環境であれ、卒業後の社会生活で「聴覚障害者は困難を味わう」ことを前提として、成長と社会適応を促す教育が必要。また成人後に「手話が必要」という声は無視できず存在することが分かっており(本ブログのアンケート結果より)、「どの時点で手話を学ぶのか」という問いに対して社会システムの構築が必要となる。
 高校卒業後すぐに就職したり、進学しても手話に触れる機会がなかった難聴者が、大人になってから就職後に手話を学ぶことは難しいことを、当事者および療育・教育関係者は知っておくべきである(成人聴者向けの手話サークルで難聴者は十分に学べない事が多い)。


以上、雑感から様々な立場への批判的な考察を述べました。
最後にもう1つだけ、重要なことを述べるとしたら…


「それぞれの人の育ちや決断を、安易に否定してはいけない」
という事でしょうか。

自分の主張をする際に、思わず感情的になってしまっているツイートも散見されました。きっと、自分を肯定するために(自分とは違う育ちの)他者を否定せざるを得ない(あるいは他所の主張が自分を否定したように感じる)のでしょう。SNSなどの不特定多数の目にとまる場では、広い視野や冷静さをもった主張が求められるのだろうと感じました。


以上で、一連のツイートまとめを終わりたいと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。

もしご意見があれば、コメント欄への記入、またはメールにてお願いします。


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