2018-09-30

最後の一言(肯定編)

 アンケートの最後にあった「ひと言」について、まとめたいと思います。

質問文 最後の質問です。子供の頃の自分に「もっと~があればよかった」「~を伝えてあげたかった」「~が必要だった」といったものがあれば、何でもご自由にお書きください。

 この質問は、アンケート全体の中で、ある意味、最も盛り上がった質問だったかも知れません。貴重なご意見や体験談がたくさん語られました。まとめ方や取り扱い方について、時間をかけて検討しました。
 ただずらずらと書き並べて終わりでは、もったいない!とスタッフとしては考え、観点によって分け、それぞれについて分けて紹介しようと考えました。観点ですが、肯定、孤独、友達、手話、口話、文字、人的整備、物的整備、という項目で分けました。これから何回かに分けて、紹介していく予定です。
 10人いれば10通りの意見が出ます。当事者や支援者にとっては、共感する意見もあれば、疑問を感じる意見もあるかも知れません。ですが、各自の考えをいたずらに批判してもインテグレートしている子供たちの評価・改善は進みません。まずは「ありのまま受け止める」ようにして頂ければ幸いです。


<肯定編>
 この項目では、自己肯定感やロールモデルに関する記述について、まとめました。












<肯定編>は以上です。次回をお楽しみに!!

2018-09-24

聴覚障害児の教育と現実(おまけリンク集)

 今回は、これまでの会話の流れを追う過程でご紹介頂いたり、関連がありそうと思ったブログやWebサイトについて、ご紹介します。


 障害は本人の能力や器質的な何かという個人の問題として見るだけでなく、社会との接点で「お互いに困るよね」という状態が起こっている、という見方が今後大事になってきます(障害の社会モデルとも言います)。聴覚障害も、例えば細やかな配慮ができる環境や、手話が使える集団の中では「障害(状態)が起こらない」ことが分かっています。

 聴覚障害の当事者の皆さんが、それぞれに自分のことを語っていくと、様々な共通項(あるいは相違点)が見つかっていくのではないかと思います。全てを1つの方法に合わせるというのではなく、様々な障害の現れ方や様々な育ちの方がいらっしゃるということを認め合えればと思います。

 また、自分自身や身近な方に近い方や少し違う方の話を知ることで、それぞれの理解を深めたり当事者にとって生きやすい工夫(ライフハック)を知ったりすることができるでしょう。どう理解してもらえばいいかとか、どう工夫すればいいか、といったアイディアにもつながるかも知れません。

 もしそういう情報を集約していくことができたら、これからの当事者やその周囲の方への助けになるかも知れませんね。誰かが少しでもヒントが得られたら、とても嬉しいです。

 それでは、以下は各ブログのリンクです。


 ブログ「ねこちゃんねる」より 
☆聞こえないストレスで無意識に叫んでた頃があった(今日は重め)
 http://catfood22.blog.jp/archives/24980648.html
☆口の読み取りは実は大変!そして気持ちよく筆談するために
 http://catfood22.blog.jp/archives/24357403.html
☆参観日に手話通訳同伴で学校に行った友人からの話
 http://catfood22.blog.jp/archives/25807026.html


 東京都中途失聴・難聴者協会Webサイトより 
☆聞こえない人の声 - 聞こえに困っている方へ
 https://www.tonancyo.org/kikoe/voice/


 ブログ「DeafLife_Bridge」より 
☆「ろう学校の幼稚部」コラムNo1
 https://t.co/KvAO5CDHZi
☆口話法って何?どんな訓練?(質問から)
 https://t.co/Us5hQDh1Xd
☆小学部~高等部の思い出 コラム
 https://t.co/Q6a2FrfXQ7
☆「ろう教育」における私個人的な考えも含めて
 https://t.co/YeGlF5rEFq


 ブログ「音のない世界とある世界の境目で暮らす大学生」より 
☆聞こえていてよかったこと(2018-09-05)
☆大学生活の本音(2018-04-19)
☆手話はかっこいい(2018-04-18)
☆聞こえる人と聞こえない人の笑いの違い(2018-02-03)
☆障がいというだけで理不尽な目に(2017-12-10)
☆周囲にあわせる※文章長め(2017-12-02)
☆1週間?ぶりですね(2017-11-14)
☆小学校時代(2017-11-09)


 今後、追加されるかも知れません(その際は更新履歴を追記します)
以上、おまけのリンク集でした。

2018-09-14

聴覚障害児の教育と現実(雑感と考察)

その1 その2 その3 その4 その5 その6と続いたツイートまとめですが、そろそろまとめにかかりたいと思います。


雑感(ざっと見て感じたこと)
(1)基本的には、自分の過ごしてきた環境や、自分が選択したコミュニケーション手段を推す声が多かった(手話重視派は手話をおすすめし、口話重視派は音声による教育をおすすめする)。

(2)口話推しの方の属性は、難聴当事者(インテ経験あり)、聴覚障害学生、聴者STなど。聴者社会への適応が主な主張の根拠。

(3)手話推しの方の属性は、難聴当事者(インテ経験あり/なし)、手話のできる聴者など。コミュニケーション環境や仲間の存在が主な主張の根拠。

(4)口話/手話のバランスを取ろうとする立場や、日本語の読み書きが最重要(口話か手話は二の次)という意見もあった。


そして、以上の雑感をもとに(なるべく平等さを意識して)考察を書きました。

やや辛口の考察
(5)口話の重要性を主張する当事者には、たいていの難聴児が「自分のように日本語習得ができる」ことを前提として、努力を勧めているふしがある。だが同様の努力で全員がうまくいくわけではない。また、複数の当事者学生が主張に加わっていたが、「小学校~大学までの生活で適応できる」ことと「職場やライフステージに応じた適応」との違いには注意が必要である。

(6)手話(聾学校)の評価が高い者には、口話教育の弊害から手話がベターであるという主張が見られる。ただし口話(読話・発話)習得の大変さは、イコール手話による言語力向上や日本語習得の確実性を保障するものではないことに注意が必要である。手話には手話の習得上の難しさがある。同様に、(それぞれの学校によると思われるが)ろう学校での教育についても評価は一長一短である。

(7)ろう教育(聴覚障害児への教育)の議論は、マジョリティ(聴者)とマイノリティ(ろう者)の圧倒的な数量差が暗黙の内に存在している。そのため、マジョリティ側が音声言語によるコミュニケーションを期待して、「(不得意な)聞こえを何とか使うしかない」という(聴者側の)論理が強くなりがちである。ただしそれは「聞こえる人に合わせる/聞こえる人のように生活する」という、生活上の困難を個人の努力で解決させようとする医療モデルの障害観を拡大再生産している。

(8)障害は個人の中にあるのではなく、個人と社会との接点で生じるという「社会モデル」を具現化できそうな一部事例(理解のある難聴学級に在籍)も見られたが、インテ環境では手話を獲得・手話による教育の機会は得られていないため、コミュニケーション能力の成長までは保障できるかどうか分からない。

(9)ろう学校であれ、インテ環境であれ、卒業後の社会生活で「聴覚障害者は困難を味わう」ことを前提として、成長と社会適応を促す教育が必要。また成人後に「手話が必要」という声は無視できず存在することが分かっており(本ブログのアンケート結果より)、「どの時点で手話を学ぶのか」という問いに対して社会システムの構築が必要となる。
 高校卒業後すぐに就職したり、進学しても手話に触れる機会がなかった難聴者が、大人になってから就職後に手話を学ぶことは難しいことを、当事者および療育・教育関係者は知っておくべきである(成人聴者向けの手話サークルで難聴者は十分に学べない事が多い)。


以上、雑感から様々な立場への批判的な考察を述べました。
最後にもう1つだけ、重要なことを述べるとしたら…


「それぞれの人の育ちや決断を、安易に否定してはいけない」
という事でしょうか。

自分の主張をする際に、思わず感情的になってしまっているツイートも散見されました。きっと、自分を肯定するために(自分とは違う育ちの)他者を否定せざるを得ない(あるいは他所の主張が自分を否定したように感じる)のでしょう。SNSなどの不特定多数の目にとまる場では、広い視野や冷静さをもった主張が求められるのだろうと感じました。


以上で、一連のツイートまとめを終わりたいと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。

もしご意見があれば、コメント欄への記入、またはメールにてお願いします。


2018-09-02

聴覚障害児の教育と現実(その6)

その1 その2 その3 その4 その5に続いて、ツイートまとめを掲載します。


----とあるツイートのまとめ5----
Aさんの発信
小学生から私や私の家族はずーっと馬鹿にされてきたけど 私の成績は上位。聴者で悪口言ってくる人は大抵成績が悪い。その人らはクラスのまとめ役から〆られて閉口した。 私の近所の人が障害の事に関してあれこれ噂話を言うけど、私が普通の進学校行ったら閉口した
自分より下だと思ってた障害者がいい成績を修めたり、凄い肩書きを持ってると大抵の悪口はやむ。 障害者は自分より能力が劣って、馬鹿であってほしいと思うクソはどこにもいる。 馬鹿にしてくるクソは大抵が良い所に進んではいない。
上記のツイートで閉口と言ったのは、 悪口がヒートアップしたら、イジメに繋がると思ってるから。 だから、良い成績を残す事で相手に悪口を言わせる余地を与えない様にした。 障害者が普通学校で上手くやっていくには普通の聴者に比べて飛び抜けてる何かを持ってるかどうかだと思う。
見下されない、いじめられない為に努力出来る所は努力していこう。と小学校に入学した時に思ったこと。

別の日のAさんの発信
日本語教育は小学校に上がる前 読話教育も小学校に上がる前 ある程度まで出来てないと難しいと言われていたな… 発音は聞こえのレベルで習得時間がかなり違う。私は18歳まで聴者に伝わりやすい発音ではなかった。 手話は習ってなかったな~
ある程度まで日本語が出来ないと学習に支障が出るなぁ… 小学部で日本語が出来ない子がいたのだけど、 幼稚部で何やってたのや!と小学部先生から先生や親にクレーム… 幼稚部が親と子を引き離してことばの教育してたらしい… そら、親はどんな風にことばの教育したらいいのかわからんわな。
これは、親にきちんとことばの教育を教えなかった幼稚部の責任。 親は教えられた事を反復練習する責任がある。 幼稚部の存在ってかなりデカい… 幼稚部や親がどの様なことばの教育をするかで、ほぼ将来が決まる

Aさんへの返信(Cさん)
聴者とコミュニケーションを取ることを考えるなら口話は正だと思う。 それこそ出来るようになるのは1/10と言われてる世界だけど。 社会で強く生きていくなら口話に頼っちゃだめだと思う。何故なら圧倒的に不利だから。コミュニケーションは楽しむもので、勝つためのものじゃないと思う。
やろうとする側の気持ちもわかります。 ただ口話教育自体が悪というより、僕が勉強した限りろう児のためではなく健聴の先生・世界に合わせるために始まったと思っているので、一度仕切り直しが良いかなと思ってます。スタートのコンセプトが歪んでます。 最近は活動してないので今もなのかは不明ですが

Aさん的まとめ
なんかよく分からんが、 手話主義と口話主義のツイートに別れてんな… 日本語が出来れば どんな方法でもいいやん。 結局聴覚障害者の皆は 口話+手話で話してる訳やし。



Kさんの発信
どんだけ発音が綺麗な人でも、文章を書かせると変な文章書く人も結構いる。 それに聴力が重い人で発音が聴者並みに上手になれるのは全体の確率でいうとごくわずからしい。それを考えてもやはり日本語教育を優先すべきで、そして今のろう学校は日本語教育にシフトしていってるとのこと。



Oさんの発信
夫とベロベロに酔っ払いながら話したこと
 ・ろう学校の先生すごい、あの熱量で仕事できてるか自問自答してる
 ・ろう学校が坊にとって一番良い
 ・声をバカにする奴より圧倒的に坊は顔がいい(謎
 ・日本語読み書きに注力しよう
 ・かわいいは正義
 ・めいっぱい愛情注ごう
 ・「人が好き」がコミュ力の源泉
うちの子は二人とも最高に可愛いです!! 発達面も鑑みて、ろう学校の少人数教育が一番良いかな~と。近いし(笑)
思春期ど真ん中、聴こえる子でも人間関係で苦しむ時期なので、「普通校行くなら、周囲も大人になってる高校か大学からでいいよね」なんて話をしてます。実際それでいいと思うんですよね~。



Jさんの発信
いわゆる「ろうの世界」で子どもたちが育っていく場所もある。 それは、聴覚障害児者が帰属する一つの、とても大切な場所であることは間違いないと思う。 けれど、世界は、それだけではないということを認識していることもまた、大切なのではないだろうか。
すぐ隣に日本語を母語とする社会が存在すること。 そこに出かけていったら、自分なりにどのようにやりとりしていくか。 それを高校卒業までに一緒に考える時間をとっていく。 これが、自立活動なのではないかと思う。




ポイントになりそうなところを勝手に色分けしました。

ツイートまとめは、このくらいです。
どういう意見があったのか、後日お伝えできればと思います

もしご意見があれば、コメント欄への記入、またはメールにてお願いします。

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